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東京高等裁判所 昭和55年(ネ)3077号 判決 1981年8月27日

控訴人

満留アサ

右訴訟代理人

瀧川三郎

鵜澤秀行

被控訴人

大久保マサ

被控訴人

大久保久三郎

被控訴人

吉本喜久代

右三名訴訟代理人

橋本正夫

橋本裕子

主文

原判決を左のとおり変更する。

被控訴人大久保マサは、控訴人に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和五四年四月二六日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人大久保久三郎、同吉本喜久代は、被控訴人大久保マサと連帯して、それぞれ控訴人に対し、金二〇万円及びこれに対する昭和五四年四月二六日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人の被控訴人らに対するその余の各請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを三分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。

この判決は、第二、三項に限り、仮りに執行することができる。

事実《省略》

理由

一昭和五二年九月一五日午前七時三〇分頃、本件マンション敷地内の通路上で、歩行中の控訴人が転倒し、負傷するという事故(本件事故)が発生したこと、当時被控訴人マサが同被控訴人と夫喜義の共同飼育にかかる犬(以下「本件犬」という。)を連れて、同じ通路上を散歩していたこと、及び同被控訴人がその際本件犬のひもを手放したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、まず本件事故の発生原因及び傷害の程度等について判断する。

1  <証拠>を総合すれば、次のような事実が認められる。すなわち、(1)控訴人は、本件事故当日の朝、独りで本件マンション内の自室(A棟一一一二号室)からマンション西側の県道方面に散歩に出て、自室に戻るため、午前七時三〇分頃、原判決別紙図面表示の点から点に通ずるマンション敷地内の通路を点に向つて歩行中、点附近にさしかかつたところ、折柄点附近の通路上を本件犬(中型の牝の雑種犬)を連れて歩いていた被控訴人マサが握つていたひもを手放しため、犬が控訴人の方向に走り寄り、後方から控訴人に接触し、そのため控訴人はその場に転倒し、左大腿骨転子部骨折の傷害を受けたこと、(2)控訴人は、本件事故発生後直ちに熱海市所在の熱函病院に入院して治療を受け、同月二二日に国立熱海病院に転院し、同病院において二度にわたり手術を受けた結果、歩行杖を使用して院内歩行が可能な程度にまで回復し、昭和五三年一〇月三〇日には歩行訓練を主目的に東京都養育院附属病院に転院し、昭和五四年三月末頃まで継続して同病院で治療を受けたが、現在に至つても歩行能力が十分には回復していないこと、以上の事実を認めることができる。

2  被控訴人らは、本件犬は前記点から前記図面表示の点に立つていた訴外喜義に向つて走つていつたのであつて、当時点にいた控訴人に犬が接触した事実はなく、控訴人が転倒したのは被控訴人マサが犬のひもを手放す以前のことである旨主張するが<反証排斥略>措信することができない。

しかも、<証拠>によれば、被控訴人マサは、昭和五二年九月一七日夜本件マンションA棟一一一二号室に控訴人の長女平峯稜子を訪ねて、同人に対し、本件事故発生の状況について、「病気療養中の夫に見せるため散歩かたがた本件犬を連れて来たが、握つていたひもが手からするりと抜けて犬が走り出したので、追いかけたけれども、通路がカーブになつていて一旦見えなくなつてしまつた。更に走つて行くと控訴人が倒れていた。」旨説明し、控訴人によりよい治療を受けさせるため熱函病院から国立熱海病院に転院することを勧め、自らその転院につき国立熱海病院の医師その他の関係者に紹介するなどして尽力する旨申し出たほか、同月下旬には、控訴人の付添費用を含む入院費の三分の二を訴外喜義と共に負担する旨控訴人を代理して交渉に当つた平峯稜子に対して約し、同月二七日頃本件マンションの支配人石井金作及び株式会社中銀ライフケア本社総務課長小松寿一立会のもとに、右費用負担の約定の趣意を記載した念書を作成して、控訴人に差入れた事実が認められ(被控訴本人大久保マサの尋問の結果中右認定に反する部分はたやすく措信することができない。)、被控訴人らの主張するように控訴人の転倒、負傷と本件犬とは全く無関係であるとするならば、被控訴人マサが何故前記一連の行為をなしたのかその動機の合理的な説明は甚だ困難であるといわなければならない。結局同被控訴人の前記一連の行為は、同被控訴人において控訴人の転倒、受傷が本件犬の行動に起因することを認識していた事実を如実に物語るものというべく、被控訴人らの前記主張は、これを採用することができない。

三次に、本件事故に因る責任及び損害賠償額等について検討する。

判旨1 本件事故は、本件犬が歩行中の控訴人に接触した結果発生したものであること前記のとおりであるから、本件犬の共同飼育者である被控訴人マサと訴外喜義は、本件犬の保管につき相当の注意を払つたことを証明しない限り、民法七一八条一項により、本件事故によつて生じた損害を連帯して賠償する責任を免れないところ、本件の場合、右両名が本件犬の保管につき相当の注意を払つたことを認めるに足る証拠はない。かえつて、本件マンションにおいては、その管理契約によつてマンション居住者の犬の飼育は禁じられていた(右の事実は、<証拠>によつてこれを認めることができる。)のに、右両名は、管理契約に反して本件犬を飼育していたものであり(<証拠>によれば、右両名は、本件マンション敷地に隣接する訴外徳田豊吉の所有地内に犬小屋を設け、主として同所で飼育したものの、時々本件マンション敷地内に本件犬を連れ込み、食事や散歩をさせていたことが認められる。)、しかも、本件犬は牝であるとはいえ中型の雑種犬であるから、本件犬をマンション敷地内で散歩させていた被控訴人マサにおいては、右犬がマンション内に多く居住する体力の乏しい老人(<証拠>によれば、本件マンションは、老人が健康で老後を送ることができるようにすることを主たる目的として建設されたもので、その居住者には老人が多いことが認められる。)に接触するようなことがあれば転倒等の事故を発生させるおそれのあることを当然予測し、みだりに本件犬をつないでいるひもを手放さないようにすべきであるのに、前記のとおりこれを手放してしまつた結果本件事故が発生するに至つたのであるから、前記両名において犬の保管につき相当の注意を欠いていたことは明らかであるといわなければならない。

2 そこで、控訴人が本件事故によつて蒙つた精神的損害について判断するに、本件事故の態様、傷害の部位程度、入院等の治療期間、後遺症の状況は、前認定のとおりであり、以上のほか、本件事故の発生につき控訴人には格別過失のなかつたことが認められるけれども、控訴人の歩行能力の回復が著しく遅れたのは、控訴人が老令(明治三一年一〇月一一日生れ、現在八二才)であることも大きく影響していると考えられること、控訴人が前記治療のために要した費用は、熱函病院及び国立熱海病院における入院中の付添費等のみでも三〇〇万円以上に達するところ、被控訴人マサにおいてそのうち金一七万九〇一六円を控訴人に支払つたこと(右の事実は、<証拠>によつてこれを認めることができる。)、並びに控訴人は、本件に関しては慰藉料以外の財産的損害についてはその賠償を請求していないこと等本件にあらわれた一切の事情を考慮すれば本件事故による控訴人の精神的損害に対する慰藉料額は金三〇〇万円をもつて相当と認める。

3 以上のとおりであるから、被控訴人マサと訴外喜義は控訴人に対し連帯して金三〇〇万円の慰藉料を支払うべき義務があるところ、訴外喜義が昭和五二年一〇月二八日死亡したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同人には直系卑属も直系尊属もなく、その相続人は、妻である被控訴人マサと兄弟姉妹である被控訴人久三郎、同喜久代、訴外中島和代、同香月喜美代及び同大久保信和の六名であることが認められる。ところで、昭和五五年法律第五一号による改正前の民法九〇〇条三号によれば、配偶者及び兄弟姉妹が相続人である場合の法定相続分は、配偶者が三分の二、兄弟姉妹が三分の一であるから、訴外喜義の前記の債務のうち、三分の二にあたる金二〇〇万円は妻である被控訴人マサがこれを相続し(もつとも、同被控訴人は、既に全額につき債務を負担しているから、右相続によつて本来の債務額以上の債務を負担するに至るわけではない。)、被控訴人久三郎及び同喜久代の両名は、それぞれ訴外喜義の前記債務のうち一五分の一にあたる金二〇万円につきこれを相続したものというべきである。

四以上の次第で、控訴人の本訴請求は、被控訴人マサに対して金三〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日以後の日である昭和五四年四月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被控訴人久三郎及び同喜久代に対し、被控訴人マサと連帯してそれぞれ金二〇万円及びこれに対する前同様の遅延損害金の支払を求める限度でその理由があり、これを認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきものである。

よつて、これと異なる原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(杉田洋一 中村修三 松岡登)

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